言葉をください64

  花のこころは

  まちがいは間違い通せ桐の花

  前にも書いたことですが、昔、女の子が生まれると庭に桐の木を植えました。桐は成長の速い木です。二十年も経てば木の丈は五メートルを越え、胸高直径は五十センチにもなる木です。親たちは女の子が美しく育って嫁にゆくころに、この木でタンスを作ってやろうと夢見たのでしょう。

  桐の花は葉に先だって五月に咲きます。円錐形の紫の花は、地味ですがどこか犯しがたい気品をただよわせています。

  人は「まちがいを改むるに憚ることなかれ」と教えられて来ました。でも私は、それが自分を生かす道なら、世の指弾をおそれることはないと思う者です。

  桐の花に、私は女の意地を見ています。

  ひまわりは嫌いな花よ油照り

  保育園や幼稚園に何とこの名の多いことでしょう。ひまわりは向日性の元気じるしの花だからと思います。私は少女のころから元気な人をこわがりました。元気な人は颯爽《さつそう》と明るくて大声で悪気がありません。

  しかし、元気な人はどうも思いやりに欠けるような気がするのです。人は心の翳りの部分で人の痛みを分け持とうとするのではないでしょうか。

  ひまわりを見ているだけで私は疲れます。

  まんじゅしゃげ女自身の罪ばかり

  彼岸花とも呼ばれるこの花は、きっちりと九月に咲きます。葉も与えられないこの花がニョキニョキ茎を伸ばすころ、私は罪の思いにさいなまれます。血を吐いたように塊りとなる花の盛りを、「手くされ」と呼ばれて摘むことを禁じられたこの花は、すがれても散ることさえも許されないのです。

  ぼろ雑巾《ぞうきん》のまんじゅしゃげは、もう男を恨んだりはしないでしょう。男と女の相剋《そうこく》はおあいこです。

  つっ立ったまま死んでいくまんじゅしゃげに、私は自分の近い未来を見るのです。

  まだ咲いているのは夾竹桃の馬鹿

  夾竹桃ほど長生きの花を私は知りません。

  公害に強いせいか、工場街や学校によく植えてある花。百日紅《あか》いさるすべりよりも、もっと長く咲いているのではないかしら。

  私もいいかげんしつこく人を愛しては嫌われてきましたけれど、この花の辛抱づよさには負けたな、と思います。でもこの花は、よくよく見れば、高坏《たかつき》形の花の喉首に糸状の飾りを結び、よい香りを放っているのです。

  いっしょうけんめいのこの花に、私は女の深いかなしみを感じるのです。

  コスモスの乱れて百にやや足りず

  「好きな花は?」「コスモス」──これは男性に多い返事です。なよなよとやさしい花に男は保護本能をくすぐられるのでしょう。

  私は、いわゆる猫毛で、髪がよくもつれます。風に吹かれているひとむらのコスモスを見ていますと、この花のもつれ髪をついついシンパイしたりするのもそんなわけです。

  群生の花は塵芥箱《ごみばこ》でも咲くのです。

  コスモスはやさしい花ではありません。